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パンフレットはなかったです
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Jazz On A Summer's Day
真夏の夜のジャズ


本日(昨日)、最終日。
そして、日本での上映の最終日でもある、という触れ込み。
だから、細かいところをもうちょっと目に焼き付けておこうと思ったので、性懲りもなく、再びバウスシアターへ。
でも、単純に映画として、とても気に入ったので、そういうことがなくても多分、見に行ったと思う。

最初に見た時、一応、大雑把な感想を書いているので、改めて付け足すこともそう多くないけれど、印象に残ったことろで書き忘れていたことがあった。
ダイナ・ワシントンがヴィブラフォン奏者の横に並んで一緒に演奏するところ。
特にどうと言う訳でもないが、なんだか楽し気でとても良いシーンだ。

以降、前回の感想と重複するが。
やはり見入ってしまう、ネイザン・ガーシュマン(Sonnyさん、感謝します)によるチェロの演奏シーン。
タバコの煙とバッハの曲の組み合わせが、妙に合っている。
そして、今回のこの映画の公開に合わせるかのように亡くなってしまったアニタ・オデイ。
その他の黒人のシンガーのような迫力はないけれど、明らかに異なる個性があるなと改めて思う。

今回、一番じっくりと見入ってしまったのが、ルイ・アームストロングからマヘリア・ジャクソンにかけてのシーン。
この映画の中でも最もきちんとライブ演奏として捉えられていて、密度の濃いところなので当然ではあるけれど。
マイルスが、ルイ・アームストロングに対しミュージシャンとして敬意を表しつつ、白人に媚を売っている(ように見える)ことについて、批判めいた発言を自叙伝の中でしていた。(たしか)
でも、非黒人(そして、非白人でもある)の日本人の目から見れば、単純にとても素晴らしいエンターテイナーであるように思える。
ジョークに関しては、今ひとつツボが分からないけれど。
デュエットのシーン、とても良い。
マヘリア・ジャクソンの歌は、ただただ、感動的。
そして、「スターになった気分よ」(だっけ?)という言葉がとても印象に残る。

余談。
最初にこの映画を見た後、DVDの情報でもないかと少し検索していたら、この映画に関しての話題をいくつか見かけた。
その中には別に知らなくても良かったかなと思ったこともあった。
それは、どうやらこの映画の中で、観客が写されるシーンが別撮りであるらしいこと。
それが一体、どのくらいの割合なのかまでは分からないけれど、そういう目で見てみると、恍惚とした表情をしているシーンだとか、ダンスをしているシーンだとか、葉巻をふかしながらリズムに乗っているシーンなんかはそう見えなくもないことはたしか。
でも、仮にそれらがすべて観客の自然な姿を捉えたものであったとしても、映画として編集されていれば、それはもう作られたものであることには変わりないので、それはそれで別にいいかと思う。
何より、良い映画に仕上がっている訳だし。

それと、このフェスティバルには、この映画に登場しない出演者が多数いるのだけれど、その中にマイルスやコルトレーンなんかも含まれていること。
どうも当時の契約の関係で、ということらしいが、その辺りの人達の演奏シーンが含まれていたとしたら、まったく違った雰囲気の映画になっていたかもしれないな、と想像する。
それはそれで見てみたいけど。
映像、残ってないんだろうか。

という訳で、再び堪能。
あっさり書くつもりが、思ったよりも長くなってしまった。
また、いずれ見たいです。
再発希望。

ああ、そういえば。
最近の映画と違ってエンドロールがやけにあっさりとしていたことに時代を感じた。
[2006/12/01 01:28] | Jazz | トラックバック(0) | コメント(2)
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コメント
確認サンキュです。古本屋で、以前の公開時の古いパンフを見つけたので持ってるはずなんだけど、あれ、どこ行ったけなぁー、、探しておきます。

このライヴが行われた時、というのは、公民権運動から来るブラックパワーの旗を、黒人がまだ手に入れるて振り回す前ですね。黒人の中には、もちろん大きな問題意識はあったはずだけど、それが表面的な文化対立のようなものにはなっていなくて。それが、こんな避暑で、幸せな邂逅を見せてくれているのかな、と思います。身なりのいい黒人の客もいっぱいいるようだし。
この当時だって、白人の不良の若者たちは、もちろん黒人酒場にブルースを聴きに行っているわけですが、60年代に入ると、そこへ行かなくてよい代わりの白人製の代替品の白人ロックバンドが、より大きな商品価値を伴なって出てくるのだと、そう認識してます。
例えば、STAX系のR&Bは、もともと地元の黒白混合でつくられていたわけだけど、公民権運動の高まりに連れて、黒人側からも、白人と一緒にやるなんてはばかれるという空気が生まれていって、より黒ぽく、ということを意識せざるを得なくなっていったと、それが60年代から80年代の間の、白黒それぞれの文化的な閉塞につながっているのではないかと、思います。
言うなれば、平安時代の国風文化?みたいなことなのかな。やはり白黒混ざり合ってくれた方が面白いわけで、小さな融合はあっても、大きなフージョンが見られるのは、やはり70年代後半を待たなければいけなかったのではないかと、思います。室町時代到来。
その、黒人国風文化を由とする空気は、きっと今現在でも横たわっていて、それは、黒人側のほうが強く縛られているのじゃないかな。
また、その黒人らしさのようなものを強調すると、かえって客が白人ばかりになるという現象もあって、まさに晩年のマイルズがそういう種類の商業主義にはまって抜けられなかったんじゃないかと、おれは思っているのだけど、どうでしょう?
[2006/12/01 10:20] URL | たに [ 編集] | TOP ▲
>たにさん

>確認サンキュ

いえいえ。
売っているなら自分でも欲しかったので。

>やはり白黒混ざり合ってくれた方が面白い

だね~。
この映画で描かれているのは、とても理想的な雰囲気だと思うんだけど、ただ問題が表面化していないだけ、と言う穿った見方もできるのかな。
そういうものが音楽に持ち込まれたのが良かったのかどうか。
実際、面白いものも生まれたので、良い面もあったと思うけど、たにさんの言うように文化的な閉塞にも繋がるわけで。
少なくともアメリカ社会にとっては必要悪だったのかも。
個人的には、白いのも、黒いのも、混ざったのも、一歩引いたところで楽しめるのが第三者である黄色い人種の強み(?)かなと、楽に構えてますが、そんなことを言っていられるのも、時代も場所も離れたところで見ているからなんだろうね。
何言っているのか自分でもだんだん分からなくなってきました。(笑)

>晩年のマイルズ

抜けられなくなったというのもあるだろうし、そういうことを考えるのをやめた、という面もあったのではないかと認識してます。
マイルス自身、若い頃には白人から理不尽な暴力を受けた経験もあるわけで、でも、そういう面を強調すると白人ばかり寄ってくるような時代になってしまったことに対して、ジレンマのようなものはあったんじゃないかなと。

最近のヒップホップなんかにも似たようなことを感じるなあ...。
[2006/12/01 11:10] URL | piouhgd [ 編集] | TOP ▲
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